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JORGE SANTANA

Once Is Not Enough, Isolation, Here I Am, Runaway Love, Tell Me Love

Translation by: Hanao Tsuchiya.

ONCE IS NOT ENOUGH, ISOLATION, HERE I AM, RUNAWAY LOVE, TELL ME LOVE.
 自身の名を冠したファースト・アルバム『ホルヘ・サンタナ(「ラヴ・ザ・ウェイ・アンド・サンディ」収録)』、セカンド・アルバム『イッツ・オール・アバウト・ラヴ』を1981年にリリースしたホルヘ・サンタナ。「ノソトロス」「ゴールデン・イーグル・アワード」を含む様々な賞を獲得した後も目を見張る音楽作品を書き続けたホルヘは、2年間のツアーを経て、新たな「ホルヘ・サンタナ・バンド」の音楽にひとつの結論を出した。
 レコーディングとライブの計画を進めるべく、僕はサンフランシスコのベイエリアで新たな仲間を集めた。ディーン・パリッシュことフィル・アナスタシアだけは別だ。フィルと出会ったのはNY。サンフランシスコで一緒に曲を作ろうという話になったんだ。結果は素晴しいものだった。ウォルター・アファナシエフと共に、沢山の楽曲制作やアレンジを手がけることもできた。収録曲のうち始めの5曲は、以前にデモをレコードレーベルに送ったことがある。その間、僕のバンドはツアーに向けてリハーサルを開始した。ニューヨークシティのボトムラインでファイナルを迎える、5週間にわたるツアーが待っていたのだ。
あのツアーでは、米国内の主な都市や有名なクラブを網羅したと思う。移動や機材手配の全てを一手に引き受けてくれたのがゲイリー・ホフマンだ。今でも感謝している。
新しいバンドでの演奏は最高の出来映えだった。にも関わらず、レーベル達は僕らの送ったデモに興味を持たなかった。いま君が聴いている5曲のうちのどれにも、だ。
とにかく、このメンバーと一緒に音楽を作れたのは、何にも代え難い経験だよ。
レコーディングの実現に協力してくれた全ての人にありがとうと言いたい。とりわけフィル・アナスタシアには、曲作りへの貢献と、そのパワフルかつソウルフルな歌声に。またウォルター・アファナシエフには、曲作りにおけるクリエイティビティと、その群を抜いたプロデュース力に。

好奇心旺盛なリスナーのために;
使用ギター:1979 Red Gibson Les Paul Custom with stock pick-ups
使用アンプ:お気に入りのMesa Boogie Mark IIC+ Long Head with a Marshall half stack
フットペダルは増設していない。どのトラックもワンテイクで、オーバーダブはしなかった。レコーディングに使ったのは、2機の4トラック1/4インチ・アナログ・テープマシン。


CASA BANDIDO, LATIN LOVER.
 リチャード・セゴビア、ローランド・”チョコ”・コントレラス、スティーヴ・サリナス、 ジョニー・ガンらは、バンドの創立メンバーだ。彼らは体の中に、サンフランシスコのミッション地域独特のカルチャーと、その音楽を宿している。サウンドの力強さやエネルギーは、初期のマロやサンタナに通じるものがある。
 ライブで共演する時にも彼らの強烈さを感じるけれど、リハーサルもそれ以上に凄かった。「近所の連中が何となく集まった」程度のものではなくて、「人生への歓び」を体現するような感じなんだ。ミュージシャンも、友人たちも隣人も、みんな音を楽しみにやって来る。リハーサルが終わると、リチャードと彼の友人たちが、お手製のメキシコ料理をふるまってくれた。

「ラテン・ラヴァー」
 2006年頃、リチャード・セゴヴィアが、「ラテン・ラヴァー」という新曲で共演しないかと声をかけてくれた。リチャードによると、僕の甥のホセ・サンタナが作詞とボーカルを担当しているとのこと。スタジオに着いて、早速演奏を聴いたんだけれど、ラジオにもぴったりのキャッチーな曲だと思って即座に興味が湧いたよ。僕はスタジオ入りするなり、ギターソロに取り掛かったよ。ギターソロを入れることで、曲が更に良いものになると感じたからだ。既に、力強くてインパクトのあるこの曲に惚れ込んでいたんだね。歌詞も斬新だし、ホセのボーカルは個性的だし、バンドの演奏は温かくて頼もしい。そこにミッションスタイルのギターソロが入っている。ボーカルには、ヘザー・ローレンとザ・ヘレナ・シスターズ(ジャック・リン&エレナ・レニー)も加わった。

「カサ・バンディード」
 これはもともと、僕が書いたインストだった。リハーサルでの定番セッションナンバーだったこの曲を、リチャードがいたく気に入ってね。カルロス・E・フランコとビスマルク・フランコの「フランコ・ブラザーズ」に作詞とボーカルを依頼したのさ。後日リハーサルに顔を出した僕に、彼らはこの曲がどんな風になったかを聴かせてくれた。それに満足した僕は、歌のアレンジを仕上げた。そして、スタジオに戻るなり、また別のクールな曲がミッションで生まれたんだ。

注:「カサ・バンディード」アウトロのギターソロは、ジョニー・ガン。彼はギタリストとしても秀逸だし、真のロックミュージシャンでもある。ラテンロックをソウルフルに演奏する、抜きん出た感性の持ち主だ。

使用ギター:お気に入りの 青い Squire Stratocaster guitar。1962 Jazz master neckをつけている。
使用アンプ:Blues De Ville 4x10s Fender amp


RAINBOWS OF LOVE.
「レインボーズ・オブ・ラヴ」
 幾年にもわたって聴き続けてきた大好きな曲だ。言葉ではとても説明できないよ。とにかく気分が上がる(ソロの始まりまで巻き戻す瞬間も格別)。フリーウェイをドライブしながら、これを大音量で流すのが大好きなんだ。
 エーベル・サンチェスと僕とは長い付き合いだ。70年代前半、僕は彼のバンド「エーベル・アンド・ザ・プロフェッツ」と一緒にサンフランシスコのベイエリア中を廻っていた。彼のホームスタジオで曲を書いたこともあった。そのときの曲を、僕らは後にレコーディングすることになる。
 1981年、エーベルが僕に言ったんだ。「昔ふたりで作った曲をレコーディングしに来ないか」。その頃までに僕の人生は様々な場面や転機を経ていた。新しい機材も含めてね。スタジオに着くまでの間は、既に手放したアンプ(オリジナルのSnakeskin Mesa Boogie)のことを思い出していた。あれがあったらさぞ活躍してくれただろう、だとか。代わりに持って行ったのは、当時僕が推奨していたcombo Crate。アンプのダイヤルを慎重に合わせて、Boogieのパーカッシヴなサウンドが出るように調整した。その音色は、何にも例えようがない。マロがワーナーに遺した最後のアルバム『アスセンシオン』の制作過程で会得した音だ。ギターの音色について僕が言わんとしていることは、このアルバムのラスト・トラック「ノー・マター」を聴いてもらえればきっと分かると思う。
 こうして僕は新しいアンプと赤いGibson Les Paul Customを携えてスタジオに入った。アンプから出る音がいちばんよく聴こえるように、床に座って曲やソロをプレイしたよ。その結果がどうなったかは、いま君に聴こえているとおりだ。エーベルには感謝している。彼が招いてくれなかったら、この曲を聴く楽しさにも歓びにも出会えなかった。
 個人的に、この時期は音楽的にも、僕にとって特別な意味を持つ。「レインボーズ・オブ・ラヴ」に神がかったソロを残せたことはもちろん、フィル・アナスタシタやウォルター・アファナシエフと共に作曲やレコーディングを行えたのだから。その後間もなく、僕はリチャード・ビーンとロックバンド「JET」を結成した。およそ2年にわたって、この4ピース・ロックバンドはウエストコースト中を演奏して廻った。このスペシャル・プロジェクトの音源も、リリースしたいと考えている。

BAR OF FIVE, SANDY, DARLING I LOVE YOU.
 1976年、マロでの音楽活動を終えた僕は、沢山のライブイベントにゲスト出演したり「ファニア・オール・スターズ」のレコーディングに参加したりしていた。それから、しばらく休むことにしたんだ。その間はずっとマリン・カウンティにある兄のカルロスの家で過ごした。カルロスは丸々1年間、自分の家を自由に使わせてくれたんだよ。それこそが僕の求めていたものだった。誰にも邪魔されないで好きなだけギターを弾ける自由な時間。僕は夢中で、カルロスがその辺に転がしていたナイロン・ギターを弾いた。そうしてギターと心ゆくまで触れ合えたおかげで、僕らが単に「ギター」と呼ぶ美しい楽器と、ますます親しくなれた。ギターと過ごしたこの短期間は、音楽において僕が探していた新しい世界へのドアや窓を開く起点になった。
 1977年になって僕はグループを再結成し、メンバーにこう伝えた。「本気で音楽に専念すれば、1年後にはレコード化の話も来るだろう」。そう信じていたし、実際にそうなった。僕らの音楽に関心を示したのは、NY郊外にあるトマト・レコーズ。ディスコ全盛期の1978年夏、ホルヘ・サンタナ・バンドはマンハッタンの「パワー・ステーション」でのレコーディングとClub 54に出入りすることで明け暮れた。これが僕にとっての初のソロ録音。プロデューサーはトニー・ボンジョヴィだった。トニー始め、共同プロデューサーやエンジニア達クルーが、このバンドの音楽を驚くほど素晴しいものに仕上げてくれた。
 この3曲は、トマト・レコーズの代表ケビン・エガースにデモを送ったものだ。その後に僕は、初のセルフ・タイトル・アルバム「ホルヘ・サンタナ」をこのレーベルからリリースした。

 追記:僕の知る限り、これら3曲および「サンディ」でのハモンドオルガン・ソロが、ロン・デマージの最後のスタジオ録音だろうと思われる。ありがとうロン・デマージ、君が安らかに眠らんことを。
ここで使った機材は、サンフランシスコにあるドン・ウィアーの店「ミュージック・シティ」で買った1970 年製の黒い Gibson Les Paul Custom guitarとFender Twin with a half stack Marshall cabinet。


BIENVENIDOS (WELCOME), SHOW ME HOW YOU FEEL (COMO TE SIENTES?)
 「マロ・オン・セサミ・ストリート」
 ビエンベニードス(ウエルカム) & ショー・ミー・ハウ・ユー・フィール (コモ・テ・シエンテス?)

 この2曲には、マロが持っていた独創的でパワフルなサウンドが生きている。『アスセンシオン』に馴染みのない方のために記しておくが、『アスセンシオン』はマロがワーナーブラザーズでレコーディングした最後のオフィシャル・アルバムだ。このアルバムには、マロが遺した音楽的遺産が詰まっている。
 マロがセサミ・ストリートのために作った懐かしの2曲を楽しんでほしい。「ビエンベニードス」のギター・ソロは思い出深いものだ。音色の素晴しさも、メロディの構造も。

  使用ギター:オリジナルの黒い Gibson Les Paul Custom
  使用アンプ:#11 Snakeskin Mesa Boogie amp
  このセットアップは、『アスセンシオン』と同じものだ。

 MALOの解散後、僕は1975年にベースのパブロ・テレスやキーボードのロン・デマージを始めとするサンフランシスコ・ベイエリアのミュージシャン達と幾度ものリハーサルを行った。いつか、それらのセッション音源も発表できたらと考えている。現代のテクノロジーが、今や古びた1/4インチのアナログテープを復元できるならね。